JIA港地域会 活動報告
第28回 素なることと多様な相
- 日時
- 2018年7月21日(土)14:00~トーク、16:00~懇親会
- 場所
- 日本建築家協会、JIA館1F建築家クラブ
- 報告者
- 村上 晶子
港地域会代表として先に年間テーマと今回のテーマについてお話ししてから私のプレゼンに移らせていただきます。
今年度のMASセミナーでは「建築の祖型」を考えるというシリーズを考えています。前回の建築と平和から始まり、今回で2回目となります。「祖型」とは宗教学者のミルチャ・エリアーデの言葉で、超越的な起源をもちこの世の初めに啓示された慣例の規範と行動の規範ということです。人と人を関係させる建築のあり方、建築の原点に想いを馳せていきたいと考えております。 今回は、今年のJIA全国大会のテーマ“素なることと多様な相”について私たちも考えてみることにしました。 私達建築を勉強してきた者は、建築とは?というとローマ時代の現存する最古の建築理論書『建築十書』に原点をみてとれると教わってきました。よい建築は、職人の技や形式ではなく、建築家の仕事が社会との相関性に依存すると書かれています。そして、堅固さ、快適さ、美しさという3つの条件によって成り立つとされています。人間は家の建造から他の技術や学問に進み文化的になるとも説明されています。建築は人間社会のほとんどの領域に関わりをもつことから、多様な現代社会における、私たち建築家の職能も社会状況や、時代の認識によって変化していきます。それぞれの建築家の観点でプレゼンしていきたいと思います。
建築のたちあらわれー“様相”を考える(村上晶子)
“様相”ということばは、近代建築をのりこえるための概念として原広司先生が表現したことばです。経験を通じて意識によって生成され保持される情景的な様態、見え掛かり、あらわれ、雰囲気、たたずまいなどの空間の現象のことをさします。
集落の様相は、建築を通して民族の文化と様相を現しています。そこにあるもので工夫して作る土着的な建築でも、人間の思考が自然に触発されて生成する過程そのもの、創造性と機智が必要であるからです。素なるもので構成されています。
これは、世界中に華僑をおくりこむ中国福建省の客家の住宅群ですが、非開放的で防御的、内側は開放的である集合民家です。他者との関係がはっきり表れる独特の様相を呈しています。もうひとつ日本に目を向けてみましょう。こちらは白川郷の様子です。村全体の外部空間は皆のもの、屋根をかける仕事は共同作業なくしてはできません。山あいに抱かれた場所で、地域の素材を用いてつくること、地域コミュニティがあったからこそ可能であった伝統の様相です。残念ながら高齢化が進みコミュニティが希薄になっている現在はボランティアなくしては継続不能になっていることは否めません。
さて、現代社会の“多様な相”は私たちの意識を通して“様相”という概念を備えた建築としてたちあらわれるともいえるでしょう。建築の風景、佇まいをつくる“素なること”は、現代の社会では、何に依るのでしょうか?こちらは槇文彦先生が80年代につくられた青山通りにあるスパイラルです。圧倒的に工業化された人工物は都市の事実として、もはや工業製品が歴史性という時間軸をすでに獲得している。新しい意味での土着、インダストリアル・ヴァナキュラーであるとしてつくられました。まさに工業材料のパッチワークによる“様相”を纏っています。現代の都市社会において現実を直視すること、土着も意味を変化していることを鑑みることを投げかけたいと思います。
建築の素なることと多様な相(宮田 多津夫)
建築の素なるものは屋根である。
古来の日本建築は、風雨から身を守るために、屋根が発生した。三内丸山遺跡では、地面に穴を掘り周囲に土塁を築き半地下の地面に屋根を架け渡した構造であった。地熱で温度を保ちながら風雨をしのぐ「守りの形」である。日本はそうした自然界との対峙から屋根の形が生まれた。白川郷では豪雪から身を守るために、勾配の急な家屋ができたし、沖縄では台風から身を守るために、石垣に囲まれた低い屋根が生まれた。
次に、屋根には精神の防御の機能がある。屋根に魔除けを備えることで精神的な安心をもたらした。沖縄のシーサー、各地の鬼瓦,パリのノートルダム寺院のガーゴイルはすべて魔除けである。地域の文化に合わせて「魔除け」は形を変えて精神的な守りとなった。
現代を見てみると、屋根は「国家の象徴」として機能する場合がある。1964年東京オリンピックの代々木体育館、2012年ロンドンオリンピックのアクアティクスセンターはそれにあたる。両社ともに屋内水泳場であり、丹下健三とザハハデイッドの名作であるが、屋根にその建築の特徴があり、オリンピックの象徴となるデザインが屋根に秘められている。
このように屋根は、自然界からの防御、精神的な魔除け、国家の象徴まで広い意味を持つ。建築の素の形ではあるが、その多様性は多岐にわたる。建築の素なることと多様な相を屋根の中に皆さんも探すことができると思う。
祖としての和/相としての光(武田有左)
世界の人々が感動した一枚の写真・・・天皇陛下が来日したサウジアラビアの王族を宮殿に招いた時に撮られたショットだ。和風の飾り気無いシンプルな広間の中央に、花瓶に生けられた花がさり気なく飾られ、国を代表する二人の人物が対面する光景が写し出されている。清い空気感に包まれた光景は、日本人には普通に映るシーンだが、世界の国々の人々には大きな衝撃と感動を伴って配信されたと聞く。
海外では、国賓級の人間を招き入れる空間は、時として金銀宝石や絵画等で煌びやかに飾られている姿が当たり前の様だ・・・しかし、和の宮殿は、豪華な飾り物は一切無いにも拘わらず、そこには、高貴さと供に威厳と気品に満ちた空間が広がる。
我々日本の伝統のなかには、謙虚さの中に美を求める精神が流れる。装飾を排するところから始まった近代建築の歴史の中で、ブルーノタウトにより世界的に知られるようになった桂離宮は、その日本人の建築に対する精神を見事に表現している。近代建築の祖と言われるコルビュジェが活躍したフランスに、絢爛豪華なベルサイユ宮殿が、粗同じ時代に建設されたと言うのは面白い話だ。
また、和の空間に見られる特徴として、開け放された壁面や障子の開口を通して取り込まれる柔らかな光との関係も特筆したい。西欧の建築の様に、自然光をも含め、人と自然が対峙する関係性の中で形成される空間ではなく、庭先の自然や宇宙と言ったものと一体として存在しようとする和の空間では、刻々と変化する自然や天体の運行に伴って変わって行く光の移ろいが、それを取り込む空間の様相を多様に見せてくれる・・・
和の空間の魅力とは何だろうか・・・今回のMASセミナーでは、我々日本人にとっての“建築の素なること”について改めて考えさせられた。
ある日現れた素をたいせつに(今井均)
僕がまだ学生で、漸く建築に目覚め始めた頃の話だが、建築科の先生からいくつかの本を読むことを勧められた。その中で近代の建築界でもっとも注目されたル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライト、の世界の三大巨匠を概説したペーター・ブレイクの「現代建築の巨匠」は今みると表紙が取れかかっている。なかでもコルビュジエには特別興味を惹かれ、その後代表的な作品は実際に見たり宿泊する機会を得たことは幸福なことであった。在籍した事務所もコルビュジエの研究者として既に著名だった佐々木宏先生の研究室だったことも偶然のことなのだが導かれた想いがあった。僕は住宅の設計に興味があって吉村順三氏に憧れをもっていたが、この寡黙な建築家に関する資料はその頃極めて少なく、土曜の午後仕事が空くと神田の古本街で吉村氏の仕事が掲載されている建築雑誌のバックナンバーを漁って独自のファイルを作るまでになっていた。そんな時代から20年余り経って東京国際フォーラムで吉村順三の住宅展のセミナーを開催することが出来その際、氏のメモリアルルームをみせて頂き、氏の机の上にあった数冊の本のなかにコルビュジエの文字をみつけたことは僕にとって喜びであった、なにか焦点が結んだなぁという想いであった、まさに多様な相への瞬間を垣間見たのであろうか。
ル・トロネ修道院と小布施の町(田口知子)
「素なることと多様な相」、建築の祖型という言葉から浮かんだ建築は、12世紀の南仏に建てられた「ル・トロネ修道院」でした。粗い石を刻んで、修道僧の手によって数十年かけて作られた修道院は、素朴でありかつ超越的な光の美しさをたたえています。建築存在の中に、祈りや神聖なものへの志向からデザインされた建築は、人間による作品とは思えない大きな世界観を見せてくれます。
一方、小布施町という長野の町づくりを導いた宮本忠長氏の仕事もまた「素であり多様」という言葉にぴったりだと思いました。江戸時代から続く伝統的な建築や緑豊かな環境を取り込んだ街並みの作り方は、新しい観光地の魅力と同時に、暮らしに根付いた素なる建築の美しさがありました。統一感と多様性をもった小布施町の様相は、集合として、個は控えめに主張しつつも丁寧に歴史に根差した濃密なデザインで作られ、密度を持って街並をつくっている多様性、質感のある風景は、成熟社会の建築が目指すべき方向であり、目に心地よく、持続性のある町並の中に建築家の仕事の原点を感じました。
建築家→単に建物の設計をするでは無く、物語という多様な相をデザインしている(連健夫)
ロンドンにAAスクールという建築学校があります。この学校はアングロサクソン系では最古、最大の建築教育機関で多くの著名建築家を輩出しています。ここで当方は学生、教師として5年間過ごしたのですが、建物だけではなく、様々なものを対象にしたユニークな建築家教育が行われています。当方が経験した課題は、○○を設計しなさいという目的型課題ではなく、○○を調べて、そこから得られたもの使って何かをデザインしなさい、といった探求型の課題でした。ある地域を調べて、当方が扱ったのはブラックタクシーです。タクシードライバーの免許制度、1日の生活などを調べてその結果を教師に説明しました。すると教師は「コミットが弱い、タクシー一台を買いなさい」とのアドバイス、驚きました。結果、タクシーの扉を2枚買い、それを用いて、ドライバーと客とのやり取り、窓からの景色などの調査、実験をしました。そして、ホテルやカフェなどをデザインしたのですが、教師の反応は「面白くない!」。ようやくGOが出たのは、パフォーマンスのデザインです。偽物のチャールズ皇太子が本物のタクシーに乗ってAAスクールを訪問し、偽物のタクシーを経験する、というパフォーマンスです。このプロジェクトは、とても評価が高かったです。AAスクールの建築家教育の特徴として、①プロセスを大切にしている。②プロセスからコンセプトを生み出し、③コンセプトからデザインする。これがArchitectureなのである。つまり、プロセスを通して建築という独創性のある物語が生まれる、という考え方です。建築家が普段の設計行為の中で、施主と色々やり取りしたり、ワークショップを通して、まとめていくプロセスがありますが、これは正しく、多様な相をデザインしていると解釈できるのではないか、と思います。
求められる理解のレベル(大倉冨美雄)
このセミナーは、出来るだけ一般の方にも建築に親しんで頂こうという配慮があります。その割には特に今回は、当の建築家にとっても難しいテーマで、ここにすでに「素なること」をテーマに選んだ理由が問われています。
つまり、「なぜ建築家はこのような問題を取り上げるのだろう?」ということです。
この場合、建築家に親しみを抱いている人なら、「建築を創っている空間の原点のことかな」(A:例えば「体感静態的」思考の方向)と思い至ることも多いでしょうが、そうでもない人には、「建築家を成り立たせている社会の仕組みに関わることかな」(B:例えば「論理動態的」方向)と考える人もいるでしょう。
「多様な相」についても同じで、スライドではAもBも一緒にして5つくらいの場合を考えています(スライド参照)。この場合でも、現代の社会の激変を考慮すると、Bへの視点も含まれているということの理解が重要なのです。
建築は、技術や法規、コストや素材に留まらず、人文社会、歴史、地域性、哲学、芸術にも関わるため、普通には個人の能力では全体をカバー出来ません。手が届かない分野を知って、そこに「出来る人」の知恵と行動に任せる心のゆとりが必要になります。 これは一般の方のためだけでなく、建築家自身への気づきの確認でもあり、注意でもあるのです。
司会:湯本長伯
JIA港地域会が続けているMASセミナー28回が終わりました。毎回、参加メンバーの感想やコメントが掲載されるので、私は司会進行を務める立場から、今回の感想を述べさせて戴きます。それと港地域会では、一般市民の方々と毎回良いセミナーを続けているので、書き留めておきたいこと残したいことも少々付け加えます。参加した市民の方から「素晴らしい話でした。他では聞けない話が聞けた」という感想もありましたが、それは港会の姿勢とセミナーのテーマにも関わるかも知れません。前回の「建築と平和」、今回の「素なることと多様な相」、判じ物のような形而上学的テーマは、メンバーの建築家からも参加した市民の方々からも、多様なイデア、多様なアクションを引き出したようです。
建築の原義は、人を守る閉じた室内空間であり、人類史上の当初は自身でそれを造ることが出来ずに、洞窟を拠り所にしていました。いま室内空間を眺めると、そこには必ず床、壁、天井・屋根の3要素があり室内空間を支え囲い覆っています。しかしそれを、建築者が自在に造れるようになったのは、人類史上では最近のことです。そして人の生活は急速に豊かになり、室内空間は多様な意味と働きを持つようになりました。現代社会では床壁天井(屋根)は当たり前で、日本では圧倒的に屋根が重視されますが、世界のバナキュラーな住居を見ると、それは必ずしも当たりません。一番怖いものは雨雪風ではなく、ライオンだという世界もあるからです。
建築者は意外と早くから専門化し、西欧中世では医者・法律家と建築家が、3大専門家と言われました。医者が専門家の最初ですが、洞窟時代から生活空間を造る建築の専門家は存在したようです。日本とは歴史的経緯が違いますが、多様な社会的役割を持つ生活空間を適切に設定することと、同時にそのための実物(の建築)を造ることの、両方の役割を果たす責務があります。そうした建築家の多様な仕事と、形而上的テーマの相性は意外と良いようです。セミナー資料に「住空間・建築空間は、巨大な体躯や強い力、硬い殻や長い羽毛を持たず、道具や衣服で生き残った人類の原点である。」と述べたように、人類は自分たちの存在の延長や一部として、色々な衣服や住空間を生み出し使いこなして来ました。建築の多様性は、人の生活の多様性でもあります。
建築の「素(祖)型と多様な相」というテーマで、建築家メンバーから多様なプレゼンテーションがありましたが、このテーマを「建築家である私の原点と多様な活動」と読み替えた今井さんのコメントは、「与えられたテーマには飲み込まれないぞ」という建築家らしい捻り方で、建築学会や建築士会等と異なるJIAセミナーらしい視点でした。もっとも、そういう捻りが一人だけだったのは、港会の真面目さと共に多様性を表わしていました。
今回のセミナーから、JIA内部と一般市民の両方を対象に、お知らせを強化しました。具体には150人以上の港区在住在勤のJIA会員と100人以上の市民の方々に、港会ニュースを発行してお知らせをしました。まだまだ至らない点が多いのですが、今後にさらに充実して、このセミナーの社会性を強化して行けたらと思います。
このところ、JIA港会は特定の目的目標を掲げず、サロン的集まりの良さを追求しています。それはメンバー全体が求めるものの最小公倍数ではなく、皆が一致できるより小さい最大公約数で活動することでもあり、そうした地道な小さな活動の積み重ねからこそ、建築家の職能明確化や社会的認知も得られると考えて、港会は頑張っています。
次回のテーマはどうなるか?司会として楽しみに待っているところです。
当日の模様
アンケート
ご参加された皆様、アンケートへご協力いただき誠にありがとうございました。
ご協力いただいた方の中から一部をご紹介させていただきます。
- セミナーに参加されるにあたって、どんなことを期待されて来られましたか?
- 今回は、哲学的なテーマ設定であったので、各パネラーの方がどの様な切り口でどの様な意見を提示されるのか楽しみにしていました。
- 今日の内容を聞いて、共感したこと、興味をもったことをご記入ください。
- 宮田さんの屋根のお話で「人を守る→精神性→象徴」のご説明は興味深かった。
オブセ市の等価交換による街の開発の事例は興味深く伺いました。 - その他、今回のセミナーで感じられたことを、ご自由にお書きください。
- 今回ほどバラエティーに富んだお話を伺えたことは無い様に思います。
- 今後、セミナーで取り上げてほしいテーマがありましたらご記入ください。
- 無回答
- 今後のセミナーについて、以下のどれかに○をつけてください。
- また参加したい
- セミナーに参加されるにあたって、どんなことを期待されて来られましたか?
- よい建築の3つの条件、堅固さ、快適さ、美しさ、どのおような建築物がそれにあてはまるのだろうか。先生方の話をききたかった。
- 今日の内容を聞いて、共感したこと、興味をもったことをご記入ください。
- 具体的な建築物を通して、ご自身の経験を通して「素」を語って下さった。
建築の素を語る時、人との関わり、人の生き方、考え方と向かい合うことになる。
時間との関わりも長い歴史と自分が積み重ねた時間とも向かい合うことになる。
先生方の4分間での語りは、建築に向かい合う姿を一部ではあったと思うのですが見せて下さった。
このような機会はなかったのでは。 - その他、今回のセミナーで感じられたことを、ご自由にお書きください。
- 建築は人が生活をする器であることを改めて感じた。
生活をする器であるからには、堅固さ、快適さ、美しさは必要条件だと思う。人が生きる、生活をする空間が古代ローマの時代から考えられていた事に住空間の大切さを知った。
ですが、現代(前からそうだったのかもしれないが)に生きている私達は住空間は大切なのだという教育ないし教えを受けていない。 - 今後、セミナーで取り上げてほしいテーマがありましたらご記入ください。
- 無回答
- 今後のセミナーについて、以下のどれかに○をつけてください。
- また参加したい